魔女 WITCHES
お勧めをいただきましたので、読みました~。
むむぅ。名作です。五十嵐大介さんの作品を初めて読ませていただきましたが、この方、すごいですわ。寡作な方のようなので、全作読破に向かってしまいそうです(笑)
さて、全2巻のこの「魔女」は、世界各地の魔女の物語です。
あらゆるところに、あらゆる時に、魔女はいるし、彼女たちは何をすべきなのかを知っている、そういう物語だと思いました。
世界を知る方法はたくさんあるけれど、そのなかの一つは、言葉という理の力を使う方法なのだと思います。言葉で切り取り、言葉で細かく細かく刻んで、分析して、組み立てて、細部の成り立ちや、細部が組み上げられた法則から、世界を理解する方法は、科学としてよく知られています。で、その方法と真逆に存在するのが、魔女の方法、女神の娘たちの方法なのだと、紫野は考えています。
どちらの立場をとるにしても、どちらが正しくて、どちらが間違っているということではなく、どちらも存在し得る、どちらかがどちらかを侵すこともない、並列して在るものなのではないかと思っています。
でも、それすらも、もう一方からの意見にすぎないのかもしれません。
遊牧民の少女シラルは西洋の魔女ニコラに語りかけます。
「言葉で考えるあなたは 言葉を超えることは考えられない
あなたより大きなものを あなたは受け入れることができない」
でも、それは言葉でなされた伝言ではない。シラルはただ、ニコラの前に行って、立っただけ。
北欧の大いなる魔女ミラが言う。
「わたしは2つの世界をつなぐ者。
言葉のある世界とない世界の。」
「わたし達は世界をあるがままに見る。
わたし達は 言葉を知りながら
それを棄てることができる者。」
アリシアが語る。
「わたしたちは 全身で見て全身で聞いて、
全身でニオイを嗅ぎ、全身で触れるんです。
自分の身体に相手を受け入れて融け合うんです。
そうでないと・・・」
ミラもアリシアも「わたし」ではなく「わたしたち」と語ります。
魔女はいつでも、どこにでもいるということなのではないだろうか、と考えるのです。すべての魔女は「わたし」であり「わたしたち」である、と。事象と対峙せず、事象を受け入れるならば、すべてが「わたし」であり「わたしたち」です。遍在する神は、わたしたちそのもの。だから、魔女は「癒し」や「救い」だけをもたらすものではないのです。世界がそうであるように、欺き、怒り、呪い、殺すこともあります。それは、ヒトの判断する善悪に囚われることがないのです。「それは、ただ、それ」であるだけだから。
漫画という表現形式が、これほど似合う物語もない、と感服いたしました。
言葉とイマジネーション。ヴィジョンと言葉。よいなぁ。絵心のない紫野は、ただ憧れるのみ、です。