なんとなく、うれしい

子供のはなし #2 – 黎明日記

ヒトゴトだけど、うれしい。そういうものに出会えたときは、なんだか、自分も浮上するよーな、気がする。(たぶん、気のせいなんだけどね。)

子供が産まれたあとのほうが幸せ、というのは、たぶん、紫野も、ほとんどいつも感じる。(なぜ、「たぶん」? そりゃぁ、これも、依存かもしれないからさ。)

これまでも、これからも、よくないことはある、でも、よいこともある。いつか、おそらく、お春の年齢を考えたら、それも遠くない未来に、「産んでくれなんて頼んでない」とか「誰が生んでくれと頼んだんだ」とか、詰め寄られる日が来るかもしれない。それでも、たぶん、子供が産まれてきてくれて幸せだ、と思うと思う。言われたら、悲しむと思うけどさ。たぶん、おろおろするんだろうと思うんだけど。(圧し掛かられると、重くて苦しくて腰が痛くて、鬱陶しいが、大好きなんだよ。そういうこと。笑)

ずっと昔に思えるほどのちょっと昔、紫野にも自分の親(特に母親)を、そんな風になじりたかった頃があった。結局、言わなかったけれど。(親のことを考えたわけじゃなく、「食わせていただいている自分」のことを考えたから止めたのだ。)

だから、たぶん、お春が紫野にそう詰めよりたくなる時だって来るだろう。実際にお春が紫野にそれを言うかどうかは分からないけど、そう考える日が来るだろうことは疑ってない(だって、親子ほど年は離れているが、親子で血がつながっていて、かつ、紫野が育てているんだよ? 苦笑)

最初から親になってる人間なんて、きっと、いない。子供に親にしてもらうのだ。そして、それは、まったくのところ、いつまでたっても、じぇぇんじぇん、完全じゃぁない。たぶん、それこそが、親になって子供に教えられることの肝なんじゃないかと思う。完全じゃぁないけど、それでも親は親をやらなければならない。親だからな・・・、というレベルが、たぶん、一番、多いのじゃぁないだろうか。(<なんの、慰めにもならし、なんのエクスキューズにもならんな。)

どんな生物でもオスはたいへん?

引き続き、このエントリも、内田樹さんの「下流志向」を読んでのもの。

女性のほうが、共同体が壊滅するようなリスクに対処する子育て戦略を取りやすく、男性のほうが、共同体内での序列に拘る・・・というのは、もしかすると、子孫繁栄という意味では、そっちのほうが合理性があったからではないか、と思いました(笑)

だって、たいていの生物のオスは、まずメスに選ばれなければ、仔をもてない。同一のグループのなかで抜きん出て優秀であることを示さなければ、仔を持つというハードルさえ越えられない。だから、そっち方面に気が行くオスが残ったのでしょう。ところがメスのほうは、メスであるというだけで仔を持つ可能性が(オスよりも)高い。だから仔を生んで育て、その仔が次代の仔を生み育てることを考えるでしょう。同一グループ内での序列より互助組織としての共同体を守る必要が優先です。その共同体が壊滅するようなリスクを避けなければならないので、そっち方面に気が行くタイプが、長い年月を経て、取捨選択されたのではないだろーか、という、妄想をしたわけです。特に、人間の子育ては長期におよびますから、共同体が長い期間、有効に存続してくれなければならないし。

ちなみに、これは、どちらが優れているとかの話ではなくて、どちらもが、同じ時期に同じ場所に共存していることでバランスがとれて有効・・・という話なのだと思います。実際に共同体が壊滅するリスクにさらされたとき、それを乗り越えるリーダーが生まれるためには、序列を競いあう力が残っていなければならないのですから。でも、どちらかだけが集まってしまうと、ヘンなほうにベクトルが動いてしまうのでしょうね。今の日本の企業体は男性の数が多く、かつ、男性が権力を持っていることが多いから、極端に行ってしまうのかもしれない。

・・・うーん、これ(↑)は、酒場のバカ話レベルの話ですが。

若い頃からのハインライン好きとしては、「女性(しかもこれから子供を生む可能性のある若い女性)と子供を優先させよ」というポリシーに、あまり疑問を感じてないから、こういう発想をするのでしょう。今、現在、すでに優先される側でなくなった者として見ても、このポリシーは妥当である、と感じるんですもの。(実際に、そういう場面に立ったとき、自分がどのような行動をするかは、その時まで分かりませんが。)

昨日の「ダーウィンが来た」でも、ニタリクジラが苦労しておりましたが、オスはたいへんです。でも、とってもひどい話ですが、その後、死んじゃってもよいオスと違って、メスは、その後、妊娠、出産、育児・・・と、体力的にも精神的にも時間的にも空間的にも、かなりリスキーな状態が続きます。(<ハインライン的に言えば、「ほんのちょっぴり妊娠するわけにはいかない」)。だから、オスのたいへんさは、それと見合うぐらいでないと不公平だよなぁ・・・と、メスの一人としては思うわけです。先払いしてもらわないとね、と。(<これも、スイーツ(笑)という罵倒対象かな。)

※ 仔を持つ可能性が高い・・・というのは、一体でも仔を持つ可能性、という意味で、です。
「たくさんの仔を持つ可能性」は、メスよりもオスのほうにあります。ただし、選ばれたオスにだけ、ですが。
たいへん不公平な話ですが、これは、種が滅びないための戦略なので、どうしようもないと思います。子孫繁栄の戦略の前では、個人的なリソース分配の公平不公平感の問題は、問題外です。世間の(特に若い男性からの)おばさんに対する蔑視や冷たさを嘆いても仕方がありません。そういうものなのでしょう。

※ しまった。このお話は、「下流志向」ではなくて「ひとりでは生きられないのも芸のうち」のほうだった。

うちの会社も「めちゃモテ」路線?

新刊ではないのだけれど、ちょっと、気になったことがあって、内田樹さんの「下流志向」を読んでいる。

紫野の勤め先は商社なので、リスクヘッジという考え方と対処法は、入社してすぐの頃から、当たり前のこととして叩き込まれる。小売業だとそうではないのかもしれないけれど、商社は、基本的に、モノを生産するわけではなく「どこかから調達して、どこかに売る」というのが商売(現在は、だいぶ、様相が違ってきておりますがね)。なので、リスクヘッジは絶対に考えなければならないコトだったりする。
もちろん、輸出入(三国間も)するから、為替リスクもかぶるわけで、どうやったら、このリスクをヘッジできるのか?ということは、入社一年目の事務屋だって考えなければならない。ボケボケしてたら、大損をコクのだ。大損をコクぐらいだったら、満員御礼の大儲けじゃなくても、小さな儲け、を取るのである。あるいは、大損コク前に小さな損でことを納める(所謂「損切り」)ことは必須なのだ。

なので、リスクヘッジという考え方は、ものすごく、お商売と関連しているもののように思っていたのだが、そうではないお商売のほうが多いのかもしれない、と、考えを新たにした。たしかに、消費者として行動しているときには、紫野自身だって「リスクヘッジ」は考えてない。(中国ギョーザ事件のようなものがあると、食料の購買活動にもリスクヘッジが必要だなぁ、と思うけれども。今後、世相も変わるかもしれん。)

職場では、今、コンプライアンスについてのe-Learning が義務付けられていて、締め切りがもうすぐそこに迫っているので、うっとおしいこと、この上ない、という気持ちがあったけれど、CSR活動も、コンプライアンス遵守も、これは、ステークホルダーに嫌われないための努力、すなわちリスクヘッジの一環なのだな、と思えば、たしかに「ヤラナイわけにはいかないなぁ」と思う。大コケしたときのセイフティーネットかぁ。よくある「最終的に共存共栄」的説明は、嘘くさいと眉唾ものだったが、こういう対策は、みなさまに嫌われないための生き残り戦略なのであって(きょうび、会社そのものが立ち行かなくなるリスクなんて、あちこちに転がってるがな。内側での権力闘争に明け暮れてる場合ではない。)、つまり、ぶっちゃけなくても、CanCam の「めちゃモテ」路線 なのだ、と見てみれば、なんら不思議ではないのだった。そして、「めちゃモテ」路線なんだと思ってみれば、あざとくて、えげつないのは当たり前だよな・・・と思う。それが「キラキラ」で巧妙に隠されているのも、そっくり(苦笑)

※ 「めちゃモテ」路線は、リスク分散型のリスクヘッジ・・・なんだよなぁ。
   男性諸氏には申し訳ないことだが、今の世の中では一点張りは危険すぎる、ので「めちゃモテ」なんだろうと思う。

WordPress Themes