ミスリードされる少女マンガのエロ規制 : 日刊サイゾー
前からいろいろと言われていた問題ですけどね。世間一般に浮上して来たんだね、ということで。
たしかに「少女コミック」は、少女誌と言ってよいのかよ、これで・・・と、紫野も思うことがあります。紫野は小学校の頃から、この雑誌を不定期に読んでますから(そういや、最近、まったく読んでいないけれど)、今でも、小学生がこの雑誌を読んでても不思議じゃないと思います。どうなんだろ、読んでるんでしょうか。
「Cheese!」は、もうちょっと上の層を狙ってますけど、大人をターゲットにしている雑誌とも思えないですね。上記の記事の写真で横積みになっている上の3冊は、そういう雑誌(ジャンル的にはTL)だから、そういうのが目的で買うわけなのだろうけれど、子供にも買えるのが問題だと言われたら、たしかに否定はできないです。
紫野が小中学生の頃に読んでいた「少女コミック」よりは、たしかにそういう表現が多いと思います。でも、別に検証したわけじゃないので、単なる印象かもしれないのですよ(苦笑)。で、当時だって「風と木」が連載されてたのよね。小学生には衝撃的でしたが、その結果、紫野が困った大人になったかというと・・・なったのか(がっくし。いや、それだけが困った大人になった理由なわけじゃないとか、言ってみる。)
こういうジャンルが確立していて、売れているのだったら、ニーズがあることは確かだよね。少女向けだけど成人が買っているという部分もあるだろうけれど。まぁ、そうでしょう。ニーズはあるはず。
これらの雑誌を中学生以下の女の子に読ませたいか?と問われれば、ちょっと、悩みます。(<「ちょっと」だけかよ。)でも、同人誌すら、ちょうどそういう年齢の娘いる家に、読もうと思えば読めるように保管してあるんだから、紫野個人は、文句を言える立場ではないよなぁ。
たぶん、男の子だろうが女の子だろうが、規制しても、読みたければ読みます。でも、だから規制なんて無意味だ、と言うつもりじゃありません。ハードルを高くしても読みたいものは読む、というほうが、簡単に読めるよりは達成感があるかもしれないし、まぁ、がんばれよ、と言うか。(<なんだそりゃ。)
イタチゴッコなのかもしれない・・・という玉虫色の感想を述べておきます。
※ でも、リンク先は「サイゾー」だから「世間一般」と言ったら怒られるかのぉ。
Googleで「2012年」を検索すると地球滅亡の話がいっぱい – 日経トレンディネット
ほぉぉ。マヤの暦の話は、お春が、うごうご言っていたので知っていたが、フォトン・ベルトというのは、そういう話であったのか。。。
我々人類は、ノストラダムスの大予言を無事生き延びたという実績があったりするので、あんまり心配せんでもよいのではないかなぁと思うぞ。>娘よ。
ちなみに、ただでさえ、不安に思う気持ちが大きくなっているように感じる昨今、さらに不安を煽る必要はなかろーに、と思う母である。
まぁ、ノストラダムスの予言もそうであったように、人の感情を煽るのは、簡単に儲け商売になるから止められないという、やらしい事情があるはずだ。
なんでだか、今朝方見た夢で、懸命に「ハレ晴レユカイ」を踊っている夢を見た。
もちろん、まともに踊れなくて、すんごく焦っている夢(笑)
起きたら、ごっつう疲れていた・・・。
「腐女子は関係性に萌える」とは、よく言われるフレーズですが、腐女子でなくても女性は、たいていの場合、関係性に萌えるという特性があるのかもしれないなぁ・・・と思いついたわけです。はい。
ワークスタイル誌が「モテ」「モテ」と書いてる癖に、実は実際に男性が登場しないのも、それが遠因になってるからじゃないかなぁ、とか、ふと、電車のなかで中吊り広告を見ながら思ったんです(笑)
だって、萌えるのは、「その男性」(<えーと、これは定冠詞つき、という意味です)じゃなくて、(わたしと誰かの、あるいは誰かと誰かの)「関係性」だったりするから。極論を言うと「関係性」がよろしければ、その人が実際にどういうヒトでも、まったくかまわない、ってな場面がある得るんですよ(<怖っ。)
腐女子は、実在の関係性でなくても、想像上の関係性で萌えるのが可能なんですが、女性誌なんかも、これを狙っているのか?という目で見てみると、案外、そうかもな、と思えてきました。
女性の場合、なんでもかんでも人間関係ととらえる人も多くて、実際、「人生は人間関係」だったりするわけで。狩猟採集時代から条件付けされてるんですかねぇ。
そういう目で見ると、スイーツ脳と風俗に行く、というのは、関係性としては同じ、向きが違うだけで、いっしょぢゃん、と。どうして違うこととして正当化できちゃうんだろう・・・なんてね。(<人間はすべからく、自らを正当化しようとする傾向があるんだってば。それを責めるのは不毛だろう?>紫野)
あれ? 関係ない? 無理矢理いっしょくたにして語ってる? もちろん、そうですね。ほほほ。。。
お春のリクエストで今日は江ノ島にきた。風は冷たいけど、いい気持ち。
KDEアプリがWindows、Macに移植 - @IT
これは、おもしろそう。
そか、こういうアプローチもあるんだねぇ。
いま、うちのサイトのAmazon Top Seller を何気にみてみたら、のだめが4冊とハガレンが1冊だった。
なんか、なんて言ってよいか迷うけれど、すごい。
関東地方は雪である。それほど気温は下がってないので積もったとしても、うっすらと積る程度だと思う。
二泊三日の研修地に向かう。泊まりがけの研修はお春が生まれてから初めて。泊まりがけの出張ならあったけど。
そんなわけで、出掛けにお春が盛大に別れを惜しんでくれた。
asahi.com:母親の遺体、切られた腹部に人形 八戸3人殺害 – 社会
実はこのブログではリアルタイムな事件を言及することは、できるだけ避けているんだけども、今回は。
石塚夢見さんの短編に「月」というのがあって(タイトル、これでよいかどうか、うろ覚え)、この話のオチは、結局、自殺した本人(女性)が自分のお腹に石を詰めた、という話なのだけれど、なぜか、とっさに思い出してしまった。
他者の考えや気持ちなんて、もう、絶対に、本人でない人間に分かるわきゃぁない。本人にだって分からないこともあるんだから、他人が斟酌できるわきゃぁない。それをこちらの事情で想像して、何がしかをコメントするなんて、まったくもって「何考えてるんだか?!」なんだけれど、でも、なんかね、ちょっと、涙が出そうかも、と思った。
もちろん、本人の意思ではなく命を絶たれてしまった人たちのほうが無念で無念でしかたないだろし、だから「涙出そう」なんて言ったら、きっと刺されてしまうぐらいに酷い奴なんだけれど、でも、わたしが、もし、これと同じことをする(あるいは、される)だろう状況を想像してしまったら、別の次元の別のキモチで、泣きそうになった。
渦中の人には藁の役にも立たない感傷でしかないけれど、自分の子供に、そんな思いはさせなくない、と強く思う。でも、それも、また、自分とは別の、他者である子供自身が選んでいくことでもある。その選択に親が関与出来ることなんてタカが知れている。それでも、親は親だから、自分なりに足掻いてみるしかないのだろう。腐っても親だからな。
親も親で不完全な人間なのだよ。あなたと同じただの人間でしかない。それを心で許せるようになるまでの間に、きっと、あまりにもたくさんの、いろいろなことがあるだろうけれど、どうか、どうか・・・と、人の子の親のひとりとして祈る。何に対して祈っているのか、さっぱりさだかではないけれど。
被害者の方々のご冥福をお祈りします。