プロミスの黄色いキリンの吊広告を目にする度に、「ん?きりん? あぁ、…金利だったね。」と思う。
紫野は、商品の売買でおまんまを頂けているわけで、「きんり=金利」は日常的に使う単語なのだけれど、たとえば、ダンナは、紫野が「金利」と言っても通じなくて、「利息」といったなら、すぐに通じるという状態。たぶん、金利という言葉は、その程度の浸透度でしかないのだと思っている。家族でする日常会話で、金利がどれぐらい?とか語るのも、うーん…、だしなぁ。(ローン借りてるわけだし、たいへん重要な話ではある。)
紫野は、まさに、その金利のせいで消費者金融からお金を借りるつもりはないのだけれど(笑)、老婆心として思うには、この広告、紫野には「けっこうおもしろい」なんだけれど、「金利」が日常的な単語でないと、おもしろくないかもしれないなぁ…、なんて思ってしまうのだ。
通じない駄洒落では、しょーもないからね。
んで、「金利」が日常的な単語になっている人の場合、当然、金利が付くという意味をよく分かっているわけで、それで、消費者金融からお金を借りるということは、あんまりないのかもしれない、などと思ったりする。(いや、紫野の同僚にも、お金借りまくっているひとはおりますから、人それぞれですけどね。)
実は、いろいろと損得を考えることができて、もし借りても、ちゃんと金利込みで返済できる優良顧客を釣る深謀遠慮な広告なのかもしれないんだけどね。
お春が何やら文章を印刷していたのだが、なんとなくフォントが粒々していた。どこから(どのソフトから)印刷したのか尋ねると、ペイントだという。なんでペイント?と訊いたら、メモ帳では色がつけられないからだと言った。(よく見ると、丸数字の丸の中が黄色に着色されてたりしている。)
たしかに、メモ帳の存在は教えたが、ワープロのことは教えていなかった。だから、お絵描きソフトなのか! 人間の能力というものは、凄まじい。まぁ、この場合、時間がかかったとしても、目的を達することが出来れば、よいのだものな。(もちろん、場合によっては、この能力がマイナス側に働くこともある・苦笑)
福田政権の無為と女性的資本主義について (内田樹の研究室)
そういや「遊びをせんとや生まれけん」という今様がありましたね。「わが身さへこそ動がるれ」なんだから、だいぶ違うか。うむむ、ちょうちょ、てふてふ。
女性は女性でも、腐ってる女性は、脳内だけでも享楽的消費をしているよーな気がしますが、同人誌業界などのことを考えると、これもまた、手に触れることのできる消費かも、ですよね。ま、腐女子は、超マイナーではないですが、まだまだマイナーで、もしかしたら、これから先もずっとマイナーなので、女性という大きな括りのなかでは、無視できる数でしょうけれど。
みんながみんな、質の高い、センスのよい享楽的消費を目指して努力するなんてことはないので、そこで享楽的消費を煽ると、日本全体が歓楽街みたいになったりするのかも。まぁ、そうなることと引き換えても、日本が経済的に活発であることが必要だ、と思えないでもないし、個人的にはそういう猥雑さが、けっこう好きだったりします。内心では、お行儀悪く、元気すぎるほど元気で、逞しいのが好きで、「センスがよい」のは、基本的に、あまり好きじゃなかったり、なので。(…とは、自分の娘には言えない。処世術としてのお行儀のよさは、絶対に必要だからなぁ。)
(でも、そこで子供を育てたいか?と訊かれると悩みますよ。「生き延びられる子供」は、かなり強かに育つだろうけど、生き延びられない子供もたくさんいる可能性も高いから。必ず生き延びる子供はいる、でも、それが自分の子供だとは限らない。それが自分自身の問題。)
ま、とりあえず。
観念的に固まってしまったときは、飯食って寝ろ、ではないかと。んで、起きたらジム行って汗を流して、温泉でまったりするのよ。やっぱり。
Ubuntu でなくて、Kubuntu をインストールしてみたのは、もちろん、KDEが使いたかったからなのだが、KDEでレジュームやサスペンドをした後の、パスワード画面では、なぜかキーボードが死んでいるみたいで、文字入力が出来ない(<マウスは動くんだけどねぇ。)。なぜなんだ(泣)
んな、わけで、原因を追究する元気が出ずに、Kubuntu なのにGNOME 環境を使っているのだった…。なんか、悔しいんだけどなぁ。
…よくよく考えたら、画面をロックしなければいいんぢゃん…(<ばか)。というわけで、画面ロックのチェックマークをはずして KDE を試用中。
こみっくす感想日記 :: 紫野blog : HP Officejet 6310 by 紫野
昨日の続き。
Vine Linux 4.2 の場合、Vine Seed Plus に入っているバイナリパッケージではうまく動かせなかったので、どうせならということで、最新版の Version 2.8.2 のソースをもとにリビルド。基本的な依存関係は Vine Seed Plus のソースパッケージの SPECファイルのとおりで問題ないが、紫野の環境では、さらに gphoto2-devel パッケージを入れておかないと、make が通らなかった。
foomatic-ppd-hpijs には、6310 用のppdは入っていないが、6200用のPPDでテスト印刷はきれいに印刷されていた。
ちなみに、意外(?)なことに、hplip-gui パッケージのほうに入っている hp-setup コマンドは、GUI でなくても利用できる。(やってみて、思わず、「ををっ!」だったりした。)
長らく居間で、家族みんなのFAX兼プリンタ兼スキャナ兼コピーとして活躍してくれた、Brother MFC-5200J の調子が、少しずつどんどん悪くなっていって、ついに故障した(泣) 前回故障したのと、同じような状態なので、きっと、同じ場所が故障しているのだと思う。
で、5200Jを、また修理して使うことも、もちろん考えたのだが、複合機もずいぶんと安くなってきたことでもあるし・・・という物欲に負けて、HP Officejet 6310 を後継機として買った。(でも、5200Jの故障も、もしかしたら無償で直るかもしれないので、ダメ元でメーカーにトライしてみるつもり。<どこに置くつもりだよ・・・という問題はサテオキ。)
5200Jに比べれば、複合機もずいぶんとサイズが小さくなったなぁ・・・というのが第一印象。まぁ、5200Jはオフィスユースで、6310 は名前は「オフィスジェット」だけど、展開的にはご家庭ユースなんだから、比べるほうが間違っているのかもしれない。
6310は、機能的には、5200JのようにインターネットFAX機能があったり、メールが送信できたりなど、ネットワーク機能満載!ではないけれど、今の我が家の利用方法だと、これぐらいの機能で充分という印象だ。欲を言えば、FAXが無鳴動着信してくれると、とてもとても嬉しかったんだけどねぇ。。。(ちなみに、無鳴動着信は 5200Jも出来ない。6310 は、鳴り分けを区別することならできる。)
で、6310 を選定した時には、Linux 端末のことは、全然考えてなかったのだが(端末としてLinux を使うのは紫野だけだし、だいたい、Linux から印刷することって、最近、全然ないしなぁ。。。ってこと)、さすがに、HPは、世界的にみてシェアNo1 のプリンタメーカーだけあって、複合機の機能を、Linux からもちゃんと利用できるのだった。。。使うつもりはなかったが、使えるのなら使おう! 先人に感謝、である。
常用ノートPCの、Ubuntu(ほんとは、Kubuntu)で、インストールされているパッケージを確認してみたら、すでに HPLIP 関係のパッケージがインストール済だったので、hp-setup コマンドでGUI上で設定するだけで、プリンタとスキャナは問題なく利用できるようになった。プリンタはcupsのプリンタとして、スキャナは sane のスキャナとして設定される。スキャナは sane に対応しているソフトなら利用できるので、お好きなものをどうぞ・・・という感じがよい。FAX についても設定は完了しているらしく、利用できるのだと思うが、こちらは、まだ、テストしていない。
hp-toolbox はメニューのどこ?と探してしまったが(笑)、システム設定のところに入っていた。
Vine の場合は、Vine Seed Plus にパッケージがあったので、これを利用すれば、使えるのじゃないかな・・・と思う。(<試してみてない。)
取説には、ネットワーク経由で接続できるのは5台までと書いてあるが・・・VMware 上の仮想端末も含めて、家族3人で、5台以上接続したい端末のある、我が家って・・・と、ちょっと、考えてしまうのだった(苦笑)。
【第20回】「ワインが分かる男」より「火をおこせる男」 (白河桃子の「“キャリモテ”の時代」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
分かりすぎる。爆笑。
結婚できるかどうかまでは保証できないが、たしかに「火をおこせる男」には魅力がある。これは、もう、ハートを鷲掴みっ(<古っ)。
たぶん、ものすごく根源的なところで、サバイバルできる力は、チャームポイントなんだろうなぁ。いや、理屈じゃないんだよ、きっと。
もう10数年も前に、ふと、思ったことなのだけど、今も、やっぱり、思っていること(笑)
「光あれ」という唯一神の言葉から創生された世界に今のコンピューターが生まれたのであれば、天沼矛(あめのぬぼこ)からポタポタと滴り落ちた島から生まれるコンピューターがあってもいいぢゃん・・・と。その上、ヒルコを生むイザナミ神の怨念(<をい)を備えていたら、かなり強力なんじゃないかと。言葉によって腑分けされない論理を持つコンピューター・・・どんなんなんだ、それ?
でもね、そういうものが生まれてもよい時期が来たのではないか、と、ちょっと思ったわけです。10数年前に。今も、そんなものは生まれてはいませんが、なんというか、それもまた、同様に、論理/哲学/真理……なんだろう、と感じたのです。
まるっきりの与太話ですわ。
子供のはなし #2 – 黎明日記
ヒトゴトだけど、うれしい。そういうものに出会えたときは、なんだか、自分も浮上するよーな、気がする。(たぶん、気のせいなんだけどね。)
子供が産まれたあとのほうが幸せ、というのは、たぶん、紫野も、ほとんどいつも感じる。(なぜ、「たぶん」? そりゃぁ、これも、依存かもしれないからさ。)
これまでも、これからも、よくないことはある、でも、よいこともある。いつか、おそらく、お春の年齢を考えたら、それも遠くない未来に、「産んでくれなんて頼んでない」とか「誰が生んでくれと頼んだんだ」とか、詰め寄られる日が来るかもしれない。それでも、たぶん、子供が産まれてきてくれて幸せだ、と思うと思う。言われたら、悲しむと思うけどさ。たぶん、おろおろするんだろうと思うんだけど。(圧し掛かられると、重くて苦しくて腰が痛くて、鬱陶しいが、大好きなんだよ。そういうこと。笑)
ずっと昔に思えるほどのちょっと昔、紫野にも自分の親(特に母親)を、そんな風になじりたかった頃があった。結局、言わなかったけれど。(親のことを考えたわけじゃなく、「食わせていただいている自分」のことを考えたから止めたのだ。)
だから、たぶん、お春が紫野にそう詰めよりたくなる時だって来るだろう。実際にお春が紫野にそれを言うかどうかは分からないけど、そう考える日が来るだろうことは疑ってない(だって、親子ほど年は離れているが、親子で血がつながっていて、かつ、紫野が育てているんだよ? 苦笑)
最初から親になってる人間なんて、きっと、いない。子供に親にしてもらうのだ。そして、それは、まったくのところ、いつまでたっても、じぇぇんじぇん、完全じゃぁない。たぶん、それこそが、親になって子供に教えられることの肝なんじゃないかと思う。完全じゃぁないけど、それでも親は親をやらなければならない。親だからな・・・、というレベルが、たぶん、一番、多いのじゃぁないだろうか。(<なんの、慰めにもならし、なんのエクスキューズにもならんな。)
引き続き、このエントリも、内田樹さんの「下流志向」を読んでのもの。
女性のほうが、共同体が壊滅するようなリスクに対処する子育て戦略を取りやすく、男性のほうが、共同体内での序列に拘る・・・というのは、もしかすると、子孫繁栄という意味では、そっちのほうが合理性があったからではないか、と思いました(笑)
だって、たいていの生物のオスは、まずメスに選ばれなければ、仔をもてない。同一のグループのなかで抜きん出て優秀であることを示さなければ、仔を持つというハードルさえ越えられない。だから、そっち方面に気が行くオスが残ったのでしょう。ところがメスのほうは、メスであるというだけで仔を持つ可能性が(オスよりも)高い。だから仔を生んで育て、その仔が次代の仔を生み育てることを考えるでしょう。同一グループ内での序列より互助組織としての共同体を守る必要が優先です。その共同体が壊滅するようなリスクを避けなければならないので、そっち方面に気が行くタイプが、長い年月を経て、取捨選択されたのではないだろーか、という、妄想をしたわけです。特に、人間の子育ては長期におよびますから、共同体が長い期間、有効に存続してくれなければならないし。
ちなみに、これは、どちらが優れているとかの話ではなくて、どちらもが、同じ時期に同じ場所に共存していることでバランスがとれて有効・・・という話なのだと思います。実際に共同体が壊滅するリスクにさらされたとき、それを乗り越えるリーダーが生まれるためには、序列を競いあう力が残っていなければならないのですから。でも、どちらかだけが集まってしまうと、ヘンなほうにベクトルが動いてしまうのでしょうね。今の日本の企業体は男性の数が多く、かつ、男性が権力を持っていることが多いから、極端に行ってしまうのかもしれない。
・・・うーん、これ(↑)は、酒場のバカ話レベルの話ですが。
若い頃からのハインライン好きとしては、「女性(しかもこれから子供を生む可能性のある若い女性)と子供を優先させよ」というポリシーに、あまり疑問を感じてないから、こういう発想をするのでしょう。今、現在、すでに優先される側でなくなった者として見ても、このポリシーは妥当である、と感じるんですもの。(実際に、そういう場面に立ったとき、自分がどのような行動をするかは、その時まで分かりませんが。)
昨日の「ダーウィンが来た」でも、ニタリクジラが苦労しておりましたが、オスはたいへんです。でも、とってもひどい話ですが、その後、死んじゃってもよいオスと違って、メスは、その後、妊娠、出産、育児・・・と、体力的にも精神的にも時間的にも空間的にも、かなりリスキーな状態が続きます。(<ハインライン的に言えば、「ほんのちょっぴり妊娠するわけにはいかない」)。だから、オスのたいへんさは、それと見合うぐらいでないと不公平だよなぁ・・・と、メスの一人としては思うわけです。先払いしてもらわないとね、と。(<これも、スイーツ(笑)という罵倒対象かな。)
※ 仔を持つ可能性が高い・・・というのは、一体でも仔を持つ可能性、という意味で、です。
「たくさんの仔を持つ可能性」は、メスよりもオスのほうにあります。ただし、選ばれたオスにだけ、ですが。
たいへん不公平な話ですが、これは、種が滅びないための戦略なので、どうしようもないと思います。子孫繁栄の戦略の前では、個人的なリソース分配の公平不公平感の問題は、問題外です。世間の(特に若い男性からの)おばさんに対する蔑視や冷たさを嘆いても仕方がありません。そういうものなのでしょう。
※ しまった。このお話は、「下流志向」ではなくて「ひとりでは生きられないのも芸のうち」のほうだった。