「搾取しない」ということ

久しぶりの BSマンガ夜話で、五十嵐大介の「魔女」を扱っていたが、週末、その録画を見ながら、また、「持続可能性」のことを考えた。

このところよく何かにつけて「搾取しない」ためにはどうしたらよいのか?ということを、ツラツラと考えている。大人は子供から、子供は大人から、大人は大人から、子供は子供から、男は女から、女は男から、男は男から、女は女から、強者は弱者から、弱者は強者から。人間は自然から、自然は人間から、人間は人間から、自然は自然から。この世界に存在するもので、何からもモノを得ず、また何も与えない、ということは出来ない。ほら、紫野だって、ただ息をしているだけで、酸素を吸収して、二酸化炭素を吐き出している。

考えるのは「やりすぎない」ためのルール。「搾取しない」で済むために、「丁度よい」ところで止めるには、どうしたらいいのか?と言うこと。今の日本の世界は、今の身の丈にあった、「丁度よい」ところを、体感できてないように思うから。(かつての日本人が、それを体感できていたのかどうかは知らない。でも、300年も鎖国しながら、小さな世界のなかでそれなりに生きてこれた日本人が、体感していなかったとも思えない。「鎖国」といいながら、それでもやはり、「鎖国」ではなかったにしても・・・ね。)

過剰な情報、氾濫する欲望、喧伝される耐え難い痛み。ここに居て、流されずに立つのに必要なのは、何だろう? 取りすぎず、与えすぎないでいるために・・・どうすれば?

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