好きを貫いている者の礼儀
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紫野は別に「好きを貫いている」わけじゃあないけど、ここで言われている礼儀というのは、よく分かるな、と思った。
誰かがやらなければならない仕事というものは、確かに存在する。それが為されなければ非常に困るが、自分がやるのはなるたけ避けたい、という類の仕事。賃金をもらえる類の仕事のなかにもソレは沢山あるけれど、それだけじゃない。たとえば、家庭内で為される家事、育児、介護なんかもソレだ。シャドウワーク (shadow work) という言葉がある。ま、この話は、置いておく(笑)
家事や育児も、家政婦とかメイドとか保育士、看護師、介護福祉士、ヘルパーという名前の賃金をもらえる労働として見ると、かなりの低賃金なんだよね、悲しいほどに。でも、これらの仕事って「心を尽くす」必要があるから、人間にしか出来ない部分がある。
で、「ありがとう」と感謝されることが、金銭とは別のモチベーションになっていて、これとか使命感とかで低賃金がごまかされているというところがあるように思う。(というか、絶対に、雇用側はそこにつけ込んでると思う。本人は「好きを貫く」ことになるのかもしれないけど、卑怯だよねぇ。でもさ、それが人件費であるということをサービスを享受する側が、理解してくれてないし、ついでに、正当な対価を落としてくれてないから、人件費を上げられない、というジレンマだって、きっとある。・・・そうは言っても、そもそもサービスを享受する側がお金を持ってなければ出せないんだけどね。ない袖は振れないから。)
そんでもって、その類の労働は、誰の目にも見えてないことがよくある。目に映っていても見えてない。だって、ちゃんと為されているのが「当たり前」だから。そのくせ、ちゃんとなってないと、超クレームがつくんだよね。
それでも、それほど理不尽な状況にありながら、それが「当たり前に」為されているのは、なぜなんだろう?と、せめて一度は真剣に考えてみるべきだと思う。そして「ありがとう」と言いいたい。その時間と労力を費やしてくれた誰かに。たくさんのたくさんの誰かに。いつも、いつも、ありがとう。わたしたちの世界を保ってくれてありがとう。心の底から。
そして、必ず自分も、その「当たり前」のために幾ばくかの時間と労力を費やすべきだ、と紫野は思う。それが「好き」なら言うことはないが、たとえ、それが「好き」でなくても、必ず、分かち持つべきだ。貰いっぱなしでいいのは、子供だけ。欠片も分かち持たずに他者から搾取するだけなのは、卑怯で、格好悪いと思う。
わたしたちの世界を保つために。次世代に引き継ぐために。誰もが、自分と、誰かのために、少しずつ。