引き算、じゃなくて。
母方の叔母からお歳暮にみかんをもらったので、お礼の電話をかけた。
若い頃から「辛いときでもカラ元気」の元気な人だったが、最近どう?と様子を聞いてみると、あいかわらず、元気にあちこち動き回っている様子だ。
自分の実孫のほかに、近所の若夫婦(複数)の子供の面倒を見てやり、児童館でも子供たちの世話をしているそうだ。純粋な意味で子供好きかどうかを見れば、姉である紫野の母親よりも彼女のほうが子供好きだな、と思っていたが、好きなこととは言え、60過ぎて体力的には辛いこともあるだろうけれど、とても楽しそうに子供たちの様子を語る。
若い頃は、大家族の嫁、という立場の人だったが、どんどんと面倒を見る家族が減ってきてしまい、今は、元気をもてあまし気味だそうだ。
ダンナの両親といずれ同居するという暗黙の了解のもとに結婚することを決めたとき、紫野がお手本にしようと密かに思ったのはこの人だった。(実母は、姑との同居を経験していないので、そういう意味では役にたたない。)
結婚したことも、ましてや、姑と同居したこともない、未経験だった紫野の目からみても、辛いこともたくさんあるのだろうに(まぁ、彼女のお姑さんは、紫野の目からみても「・・・」な人だったのだ。)、カラ元気でも元気で、めげなくて、やたらとしぶとい(笑)人で、彼女のようにやってみようか、なんとかなるかも・・・と、思ったのだった。
紫野の決心がちゃんと形になったかどうかはさておき、電話で話していて思ったのだ。
欲しい、欲しいと思って、くれない、くれないと不満を持ち続けているよりも、いっそ、自分のためじゃなく誰かのために何かをしたほうが、もしかすると、心はずっと元気なのかもしれないと。
うまく言えないのだけれど、そういうもの(<どういうものだよ。)は、与えたら減ってしまうような、ちゃちな損得勘定で考える引き算なんじゃなくて、与えたら、それ以上に返ってくるようなものなんじゃないか、とね。
そういや、前々から思っていたが、紫野の母方の女性たちは、みな、一様に、しぶとい。楚々としていて、誰かにすがらないと生きていけないなんて、間違っても思えないような、たくましい女性ばかりだ。血筋なんだか、教育の賜物なんだか分からないが、そういう資質が、娘にも無事引き継がれるといいなぁ、と思う。