藁の役にも立ちゃしない

asahi.com:母親の遺体、切られた腹部に人形 八戸3人殺害 – 社会

実はこのブログではリアルタイムな事件を言及することは、できるだけ避けているんだけども、今回は。

石塚夢見さんの短編に「月」というのがあって(タイトル、これでよいかどうか、うろ覚え)、この話のオチは、結局、自殺した本人(女性)が自分のお腹に石を詰めた、という話なのだけれど、なぜか、とっさに思い出してしまった。

他者の考えや気持ちなんて、もう、絶対に、本人でない人間に分かるわきゃぁない。本人にだって分からないこともあるんだから、他人が斟酌できるわきゃぁない。それをこちらの事情で想像して、何がしかをコメントするなんて、まったくもって「何考えてるんだか?!」なんだけれど、でも、なんかね、ちょっと、涙が出そうかも、と思った。

もちろん、本人の意思ではなく命を絶たれてしまった人たちのほうが無念で無念でしかたないだろし、だから「涙出そう」なんて言ったら、きっと刺されてしまうぐらいに酷い奴なんだけれど、でも、わたしが、もし、これと同じことをする(あるいは、される)だろう状況を想像してしまったら、別の次元の別のキモチで、泣きそうになった。

渦中の人には藁の役にも立たない感傷でしかないけれど、自分の子供に、そんな思いはさせなくない、と強く思う。でも、それも、また、自分とは別の、他者である子供自身が選んでいくことでもある。その選択に親が関与出来ることなんてタカが知れている。それでも、親は親だから、自分なりに足掻いてみるしかないのだろう。腐っても親だからな。

親も親で不完全な人間なのだよ。あなたと同じただの人間でしかない。それを心で許せるようになるまでの間に、きっと、あまりにもたくさんの、いろいろなことがあるだろうけれど、どうか、どうか・・・と、人の子の親のひとりとして祈る。何に対して祈っているのか、さっぱりさだかではないけれど。

被害者の方々のご冥福をお祈りします。

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