なぜ子育てする女性の立場が弱いのか
あー、うん。気持ちは分かるっていうのかしらね。
紫野は、子供を産んで、かつ、子育てしている途中の女のくせに、自分の母性について、ものすごく懐疑的(<ないんじゃないか?と思うぐらいに希薄。神話的な母性というよりかは、どっちかというと、義務感と「ほっておいて死なれたら寝覚めが悪い」って感覚がメイン。)なのだが、子供がすんごく好きで、片時も離れたくない/離したくないと、強く感じる人々がいる、というのは、きっとそうなんだろうと思う。うらやましいか?と聞かれると、答えに困っちゃうけれども(<をい。)
子供が自分の情動に与えてくれるのは、けっこう、麻薬的な快感。(<こういう表現ってどうか?と思うけど、実際のところ依存してしまうぐらいには強烈。)これ、体験してみないと分からない部分があるけど、だからと言って別に母親じゃなくても小さい子供に頻繁に係わっているというだけでも体感できそうだしな、と思う。実際、姉として弟に対して感じていたものもソレと近いと今になれば思うので。
(昨今、そういう機会が減っているのも、また、問題なのかな。子供のまわりに子供が少なすぎるから、飴を飴と認識できるだけの経験が足らなすぎる、という意味で。)
夫婦二人だけで子育ての全責任を担う、しかも、女親のほうにかなり過重がかかっているというのは事実だと思う。そして、その過重を分散しないといけないのだろうという点でも同意できる。んじゃ、どうすればそれを変えられるのか?って部分で代案がないので、紫野には何も言う権利がなくなってしまう。
それから、あまり過重がかかってないはずの男親(になるはず)の側も、子供を持つのに消極的ってのは、否定できないと思うので、この論理だと、男性はなんで子供を持つのに消極的なんだろうね、とか。←まぁ、女の側が消極的なのに無理を通したりしたら、それはそれで問題になっちゃうわけだけんど。
経済原則とか損得ばっかり考えて、そっちがあんまり優先的な世界にいるから、少子化がすすんでいるんじゃないか?(現在、子供はコスト高と認識されている。でも、子供は時間を越えていずれ大人になって、生産者になるものなので、即時性を追及しちゃいかんと思う。育児というのは未来に対する贈与なのだ。贈与を受け取ったものは返さなければならない。ただし、受け取るのは未来なので返すのも未来。時間を越えておくりものをしあっているのだ。そうやって長い間、子供は次世代の子供に対して義務を返してきた。たぶんね。苦笑)と疑っているので、お金で解決してよい問題なのか?と反発を感じるけれど、ぶっちゃけ、お金で解決できる部分もあるから、いっしょくたに話してはいけないのかもしれない。でも、どうやって切り分ければよいのかしらね?
…あっ、やっぱり、この話になると、オチがなひ。
※ もともとのエントリにあるとおりに、ホントに本気で男女同権を信じて育った世代が子育てをするようになるまでは、「誰に食わせてもらってるんだ!」(<紫野の実父の口癖だった。これが紫野にとってはルサンチマンなのさ。)問題は、解決しないのかもしれない。
※ それがルサンチマンであるが故に、紫野はなにが何でも自分の財布から食費を払おうとするという理屈に合わない癖がある(卑屈で泣けてくる。)
※ 食事を作っているのが多くの場合に女性だという前提で、「誰に食わせてもらっているか?」というと、母に食わせてもらっていた…と認識する子供は多いと思う。父親(もちろん母親もだが)の働いているところを見てないし、給料だって銀行振り込みの時代なんだから。実際、これはネタとして言ってたわけだが、紫野の実弟は「メシを作ってくれたのは母だ」と言っていた。
でも、それを言ってしまえるのは彼が男であるからだ、と紫野は怨念抱き憎んだ。あぁ、ほんとにドロドロ。始末に終えないわ。