恋とか、愛とかのすこし前(笑)
非モテとは男女関係のルールを勘違いしている男たちのことだった – ハックルベリーに会いに行く
それよりも、「相手はメス豚」とか「女なんてただの芋の煮っ転がし」とか「あいつらに人格はない」と考えた方が、男と女はよっぽど上手くいくし、結果的には相手を気遣えたことにもなる。
ちょっと言葉の遣い方に問題があるような気がするけれど、女である紫野が読んでも、それほどムカつかないけどなぁ。(<ま、女の感覚ではない、と家人や職場でも言われていて、自分でもそうなのだろうな、と思ってるので、参考にはならない。)だって、そういうシチュエーションだったら、女のほうも、似たようなこと考えてるはずだもの。まさに狐と狸が丁々発止でリサーチ中なのであろうし。(苦笑)
うーん、「相手の気持ちを中途半端に慮るやつっていうのは逆に鬱陶しがられる」というのは確かにそう、かもしれない。その慮りって、相手を本当に見てるわけじゃないことが多いと感じてしまうことが過去なんどかあった。なんというかね、真実味がない…と。それは勘であって、理論で説明できるものじゃなくて。(今、文字で書いてて、それはないよなぁ、と思うが、でも言葉にならない。すみません。)
相手を慮っているといいながら、何事かが起こると自分の善意を主張する。でも、その善意は相手にほとんど歓迎されてなかったりしてる。自分の考える自分のなかの善意は、相手の立場や考えや気持ちは自分の頭のなかのものとはまったく別だったりするかもしれないという前提を無視した善意だったりすることもあり、たいていの場合、物事が抉れていて、過去のその時点でどれほど善意があったとしても(だから、その善意自体は悪いとは言わない)、それって今のこの状況では相手側にはまったく関係ないって、シチュエーションに成り果てているだろう…というシーンを想像して、真っ暗になった。あんまりだ。救えない。悲しすぎる。でも、特に家族なんかだと、関係が近すぎて、そんな目に遭いがちなんじゃないかと、思う。
相手を慮っているようでいて、その実、気にしているのは、ほんとのほんとの本当にその相手そのものだったりする? 自分に都合よく自分で自分を騙しているのではなしに? そんな自分が許せないから、そういうフリをしているだけじゃないと、心の奥底の嘘のない場所まで下りても、ホントウにそう言える?(<あっ、かなり、いぢわるな物言いになってしまった。)
紫野は言えない。過去、たいていの場合、「相手のため」は「自分のため」が裏側にべったりと張り付いていたから、今も未来もそこまで自分を信用できる気がしない。
相手とコミュニケーションを取りたいのだったら、自分語りしかできないのも、逆に自分を晒せないのも、どっちもどっちだと思う。むしろ、てらいなく、自分を晒せる/晒してくれるほうがまだマシ、と思うんだけどなぁ。これから、付き合っていけるかどうか、値踏み中なんだとしたらね、うん。
いや、なんとなくね、恋なんてしたら、自分の一番嫌な部分が(相手にもだが、自分にもだ。)曝け出されてしまうわけで、身をかばって成るものなんだろうか?って、思ったのだな。相手も自分も痛くて辛くて傷だらけになるよ。それでも、相手を傷つけたくない、と思いながら、傷つけ合って一緒にいる。たぶん、そうやって、そのうち、お互いの皮膚が固くなり、めったなことでは傷つかなくなり、お互いの間合いが掴めるようになり、やがて、いつか、ふたりでお茶を飲みながら笑って話せる日が来るといいな、と信じてる。その前に「やっぱりダメだった」と分かれる数も相当数だろうけど。最初からベストマッチなんて、そぉんな都合のいい話はない。