母という呪い

女性のレイプファンタジーについて――ただし、自分のために – ビジネスから1000000光年

元エントリの本筋とは毛色が違うのだけれど、「母という呪い」については、考えていたことがあったので、よい機会なので書いておく。

「頭に陸蒸気」と揶揄されるほど男尊女卑思考な父親の娘として育ったので、父親との確執というのは、思春期の初期からずっとかなり自覚的であったし、周りにも目に見える形で進行したのだけれど、一方、母親との確執というのは、ずっと潜行していて無自覚で、「重力圏を突破した」とまがりなりにも思えるようになったのは、かなり最近のことだったりする。

ま、つまり、自分にとっては、自分の母親が母親であると同時に、ただの普通の(善くもあり悪くもある)人間のひとりであり、かつ、過去から続く現在進行形で女でもあるということ、それだけのことを受け入れるのに、それなりの時間と根性と経験と、ある種の諦めが必要だった、のだろう。

母と娘とは、同じ女性の身体を持っているので、そこに軽い嫌悪感というのがあるのだと思う。それが、母親が母親だけではない存在なのだ、という認識を助けてくれる、と言ってみてもいいかもしれない。
たとえば、紫野自身が娘を持つ母親になって初めて、自分の母親が何気なく告白したこと(ほんとはたぶん「何気なく」ぢゃなかったのだと思う)…「お前の初潮が始まったと聞いたとき気持ちが悪かった」…は、自分自身の娘が初潮を迎えたときに、あぁ、そういうことなんだね、と、なんとなく輪郭だけでも理解できた、というような。

(でも、母親と息子では、そういう感覚を共有するのは、さぞ難しかろう。母親と女とがきちんと分化できるのだとしたら、それ、いつの、どんな時が契機なのだろうね?と、不思議には思う。分化できないままに居る人も相当数存在しそうな感触がするのだが。)

紫野自身の母親は、普通に支配的な母親ではあったが、特に支配的な母親というわけではなかった。だから、紫野が重力を振り切るのにとてもとても時間がかかったことについて、彼女だけがひどい原因だというわけでもないだろう。

だが、実も蓋もない言い方をしてしまうと、紫野自身が母親になった後には「支配的でない母親」というのを思い描けなくなった。自身の母親がどんなものであったにせよ、自分自身もまたそう(<地獄の釜?)なのだ、と思わずにはいられなかった。どんな形であろうとも、母親は子供を支配しようとするし、実際に支配する(と、思う)。そして、それを止めるのは、すごく難しい。なぜなら、それは、いまだかつてないほどの快感だからだ。
そしてその快感で狂っているからこそ、母親は、あんなに面倒で理不尽な子供という生き物を、せっせと養育するのだろう…と思う。(曰く、どんなものにも裏がある…。)

子供の存在そのものの理不尽さと、母の(呪いの)理不尽さ。どっちもどっちのような気がしてしまうのだ。

※ ま、ほら、あれだ。組み合わせとか相性による不幸、というヤツも少なからず存在しているだろう、とも思う。

※ 種の保存という観点で言えば、生れ落ちてすぐに母親に捨てられて生きられない個体が増えるのに比べれば、多少壊れているぐらい、どうと言うことはない…ってか。(ひどい。)

※ 本気の本気で「(殺されずに)自分が生きてるだけで儲けもの」と思えるようになったのは、自分の娘がようやく人間の言葉をふたつの単語以上で話すようになった後だった。

※ 紫野自身は重力を振り切ることを選んだけれど、そうでない選択もあるし、そっちのほうが正解ということだってあるだろう。まだ、今の自分には、どっちがよかったか?なんて分からないけれど。

※ 娘のためには、倒し難いラスボスでいてやるべきなんだろーか。

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