鋼の錬金術師-シャンバラを征く者

見てまいりました。映画版ハガレン。

紫野は映画にテーマ性とか、哲学だとかは求めてなくて、楽しめればよいと思っているのですが、これは、ちょっと考えてしまいましたなぁ。見終わったあと「うーん。。。」と(笑)だって、こちらの世界の歴史とリンクしてるんですもの。それも、なにせ、あの時代だし。。。
まぁ、TV版の延長なのは確かですね。ストーリーもメッセージも。このメッセージを受けて、子供たちが前に進める力を持てるのならば、それはとてもよいことなのかもしれません。ついでに、歴史も勉強してくれたりするとうれしいです。

あそこでお父ちゃんがああ出るというのは、かなり意外でありましたし(とっことん、自分勝手だ、という点では予想外でもないのか。。。)、一転、また一転の終盤は、エンタテイメントたっぷりです。マスタング伍長もかっこよかった。

最後、現実世界のスカーとラストが夫婦くさい登場をしているのには、お春といっしょにひきました。でも、お似合いでしたね。世が世なら、いい夫婦になっていたかもしれないんだなぁ(苦笑)

ひとつ残念だったのは、エドとノーアのラブストーリーにはならなかったこと。いっしょに寝る仲になってたら、おもしろかったのにねぇ、と、おばさんは考えてしまいます。だって、エドがあんなに嫌っていた父親と同じことをすることになるわけっしょ。「ロケットに乗ったエドと取り残されたノーア」の構図がより、おもしろくなると思ったんですけどね。期せずしてそうなってしまう悲哀というか、そういうのが、ぐぅんと出るとおもしろかったと思うのですが。
子供も見る映画だから、そういうのはナシなんでしょうし、エドの性格からして「自分の世界に還る」と考えている間は、そういうこと(笑)、しそうもないという気がしないでもないですが、寝込みおそっちゃえばいいのにぃ、とか、おばさんは考える。。。(<をいをいをい)

ひとり残されてしまったウィンリィのその後、どうなるんでしょうか。まぁ、あの娘はピナコばっちゃんの孫娘だものね。元気でたくましく生きてくんだろうなぁ。そしていずれ恋をして、強ぉぉいお母ちゃんになるのだ、と信じています。心配なし(笑)

もうひとりのアルフォンス君(合掌)。
現実世界のエドワード君は、TV版で死んでいて、そのかわりにエドが現実世界に入ることが可能だったわけだから、アルフォンス君が死なないとアルが現実世界に来ることは不可能ってことなのかしら。「等価交換」? だとすると、それに気づいたとき、アルフォンス君の死が先ではあるのだけれど、アルは苦しむのじゃないですかねぇ。

それから、あの爆弾は(あの爆弾そのものではないにしろ)、結局「使われる」わけです。んで、それを、エドとアルは、見なければならないわけ。ナチスの台頭も、ホロコーストも、みんな、エドとアルは、見なければならない。映画のその後。。。かなり重苦しい状態になるよねぇ。。。(暗転)
あの戦争での現実世界での人の死が、錬金術世界の錬金術パワーになるのだとしたら、いったい何が可能なのか、怖くなりますね。もしかして、エドとアルが、もう一回、元の世界に戻るパワーになるのだったら、怖いです。いくら、禍福はあざなえる縄の如し、とは言え。。。

ま、それもこれも、背負うべき罪、償うべき業ではあります。父親の代から、めいっいっぱい「業」しょってますからねぇ。簡単には許されないのだろうな。。。なんて思うのでした。

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