『無責任艦長タイラー』が語られない理由

『無責任艦長タイラー』が語られない理由 – Je n’avais pas l’intention d’aller � la mer.-HINAGIKU SAID ”LIVE OR DIE”

まさに紫野は「タイラーか、懐かしいな(<いい思い出)」という実例だったり。

で、ほとんど元記事に関係なく考えてしまったのだが、なぜ90年代にはあまりオタク的行動を取っていなかったのか?と。社会的現象(苦笑)だった「エヴァ」にさえ毒されなかったのだ。それ以前の紫野だったらあり得ない。

うーんと・・・。あぁ、そうか、90年代前半は、生業で稼ぎながら(この時期、大きなプロジェクトもあったし)、結婚したり、子供産んだり、育てたりで、ライトノベルやアニメからは離れていたんだった、と思い出す。マンガはさすがに読み続けていたのだけれど、それ以上範囲を広げる余力がなかったらしい。思い出せば、この時期のアニメはほとんど見ていない。結婚当初は、漫画はともかくアニメにはまっているところを、ダンナに見せたくない、という心理も働いていたらしい。まだ、初々しかったのだな(<をい)。
今、この頃の生活を思い出したが(<今かよ)、そりゃぁそうだ。子供を保育園から引き取って、家に連れて帰って、ご飯食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけていたら、アニメを見る時間などない。夜泣きに付き合っていたから、寝られる時は少しでも寝ていたかったし。漫画だってこの時期は新規開拓ができてなかった。
ほんと今更だけど、なるほど。この時代(笑)は、けっこう普通のヒトだったらしい。ものすごく当たり前で今更言うのもなんだが、オタクは余裕がないとできないものなのだ、と再認識する。現実生活のアレコレが押し寄せている間は、逃避行動的にすらオタク行動を取れないらしい。
そして、90年代後半は、Linux にはまって、そっち方面は「エヴァ」にすら、あんまり興味が行かなかった・・・と。こっちは、別の方面でオタクだっただけ、か(笑)

今また、そっち方面が気になってきたのは、お春が大きくなって彼女自身がオタク化の過程にある(<断言するな)ということと、紫野に時間的&精神的余裕ができるようになってきたことの相乗効果か。結局、ちょっと休んでいただけで、中身は変わってない。少しは「いわゆる大人」になったのかと思ったら、そうじゃない。成長しろよ(良いか悪いかは全然関係ない。いわゆる処世術として、だ。)、と思わないでもないなぁ。

ちなみに、今は職場でもオタク丸出しで社会的にもオタク(苦笑)。OTAKU LIVE! の結果、生存権を得た、のかもしれない。長く居れば、それなりの余禄はある。

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