だって、飯を食えないもん

前回のエントリと同ネタで引き続き。

ふと思い出したのだが、紫野の兼業主婦の原型イメージは「行商のおばちゃん」とか「内職のおばちゃん」とか「お店のおばちゃん」とか「農家のおばちゃん」だったりする。常磐線に乗ってくる行商のおばちゃんを「かっけー」と尊敬のまなざしで見上げつつ育ったんで、そこが原点なのだろうと思う。成長過程で、あんまりセレブな専業主婦を見る機会がなかったのは確かだ。ほとんど記憶にない。紫野が育った環境では、自身の母親を含めて、食うための仕事をしないですむ大人の女はそんなに多くなかったのだ。ちなみに、借金作って逃げ出すような大人の男というのは、散見されていた。
きっと「(女が)働くのは当たり前」という感覚も、そこから来るんだろう。経済的に男に依存するのはリスキーだという感じ方も同じところからか。
なにしろ、父ちゃんがどうしようもないから母ちゃんががんばってる家というのが珍しくない光景だったのだ。(さすがに中学校以降には、学区が広くなったので、そうでない層ともいっしょになったけれども。)

なので、いまいち、兼業主婦のイメージと「キラキラ」とか「嫉妬/羨望(される方)」とが結びつかない。そこが最初に感じた違和感の原因かもしれない。

親の経済状況は子どもの学歴に影響する。セレブな専業主婦が存在できる家庭では父親の稼ぎがそれなりによかったことだろう。そういう経済状況下で育ち、(必ずしも経済力だけが理由ではないが)高学歴を得て一流企業に就職するような娘たちが、母親のような生活に憧れるのは、無理ないかもしれないが、あいにくと、専業主婦に憧れをいただかないで大人になる人間だっている、という…、あれ?やだな、クラースの違いかしら(とほほ)。

母親の世代との圧倒的な違いは、世間の状況のほうが変わってしまって、「普通に勤めていれば一生安泰」なんて職場は、そうそう存在しなくなったというところだろう。男女にかかわらず、いつ職を失うか分からない時代だ。専業主婦になる経済的リスクは、前の世代より高くなっていると、思う。

これは余談:
紫野は未熟児として生まれたのだが、お乳を吸う力が弱くて、一度、栄養失調で死に掛けたそうだ。紫野は母の最初の子どもで、母も若くてかなり未熟モノだったので、医者に見せるまで全然気づかなかったそうだ。(ちなみに医者に行ったのは栄養失調に気づいたからではなく、はしかに罹ったから。)今は笑い話にされても本人もゲラゲラ笑いながら聞いているが、その時に死ななくてよかったな、と思う。

さすがにその頃(乳児)の記憶はないが、幼少期にお金がなくてご飯が食べられなかったという記憶は今も残っている。何か欲しいといえば「金がない」という回答が普通の環境だった。たぶん、だから、「飯を食うための仕事」に執着するのだろうと思う。これはこれで妄執かもしれないなぁ。

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