働くことは権利でも、ある。
「母親の自己実現のために」育てられた子どもが背負う呪縛 – シロクマの屑籠(汎適所属)
母の呪い関連については、言いたいことがありすぎるので、今回はパスします。この辺りは、自分自身にとって、前の世代と後の世代の双方向でいろいろと泥沼なので、書くと長くなりすぎるので気力と体力がないときは書けません。
かわりに、別のことを、ちょっとだけ書いてみます。掲題については、元エントリとはそれほど関係はないのだけれど、刺激されて、考えたことです。
最近は、自己実現というと、ちょっと否定的な意味合いを汲み取ってしまうことが多いのかもしれないのだけれど、そもそも、働くことは権利でもある、と思います。
その子どもの個性とか、親の性格だとか、家族の構成であるとか、子どもの成長の度合いであるとか、親子関係のあり方など、いろいろな要因を加味して、個別のケースに一番よい方法を考えて、親の社会生活について子どもに教えていくやり方は、それぞれに違って当然です。
でも、わたしは、父親でも、母親でも、家族以外の誰か(社会)のために何かをすることや、誰か(社会)にとって必要な人間になることは喜びであって、働くことの報酬は金銭だけではないこと、また、働くことでそのような喜びを得ることは権利でもあるのだ、ということを、きちんと自分の子どもに伝える必要があるのではないか、と考えています。これは、親が子どもに教えられる職業教育の最初の一歩として、悪くないとも考えています。(言うまでもなく、その「仕事」が、金銭を得る仕事であるかどうかは、必ずしも重要ではないと考えます。)
働くって、辛くて苦しくて大変で疲れるばかりじゃないですよね。親として「仕事」がそれだけのものだと、子どもに教え込みたくはありません。大人になることは、そんなに悪いことだけではないと、未来を信じて欲しいのです。
それに、大人は「大変な」仕事をしているから偉いわけではないのです。それで尊敬してもらおうなんて思いたくないのです。ほんのわずかの、すごく微かな仕事だけれど、それでも、誰かの役にたつ仕事をしているのだ、ということで子どもから尊敬されたいと思うのです。
そしてまた、子どもである間は、親や社会から貰うものの方が多いけれど、いつか自分に充分な力が身についた時、今まで貰ったものを(あるいはそれ以上のものを)与えることができるようになること、与えることを考え、望むような人になって欲しいということ、いつか「あなたの順番」が来ること、わたしは、そういうことを次世代を担う子どもたちに伝えたいと思うのです。
結局、自分の喜びのために働くことを選択しているわけなので、「自分のための自己実現」と言ってしまえば、それまでなのだけれど。
ちょっと…というか、かなり偉そう…ですね。