3-1. 自由主義の下では、個人に「氏」の選択を認めるべきなのか。|選択的別姓制反対論

3-1. 自由主義の下では、個人に「氏」の選択を認めるべきなのか。|選択的別姓制反対論

自由の基本原理は、「個人は、自己のものを、他者を害さない限り、それがたとえ本人にとって不利益であっても、自己のみの意思によって処分できる」というものであるところ(注1)、そもそも、氏はもちろん、個人の名称さえ、「自己のもの」であるかどうかは自明でない。むしろ、歴史的・沿革的には、氏(ないし「姓」「名字」など「氏」に類するもの)が慣習として成立して以降をみても、血族関係・姻族関係・職位・主従関係・…

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shino-katsuragi shino-katsuragi , 核家族単位から個人単位で生活する時代に変わってきたのだから制度も変わるべきだと思っていた。共同体での互助というセーフティネットをどうかけるかの課題はまだまだだが、核家族単位でどうにかできる時代?

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